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みんな生きなければならない

みんな生きなければいけない


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みんな生きなければいけない


みんな生きなければいけない
絵:土方重巳

みんな生きなければならない

ヒト・ムシ・トリ…《農事民族館》

人間・生物・地球の未来へのメッセージ。
薬づけをやめた農業体験記。
待望、ドキュメント・エッセイの亀井文夫、20年ぶりの再起一番、世に問う作品。

鳥なく環境(さと)こそ人間にとっても生きるための絶対条件。
まちがっても、鳥の鳴かない「沈黙の春」を到来させてはならない!

企画・撮影:菊地周/構成:亀井文夫/解説:浜島信子/録音:久保田幸雄/音楽:福岡稔(ロス・ゴージャス)/制作:菊地文代/協力演奏:ロス・ゴージャス(東出五国、遠藤由起男、中島和夫、井出萬盛)/協力:大平博四、若葉会、森敏(東京大学農学部植物栄養肥料学研究室 助手)、加藤輝代子(東京農業大学農芸化学科農業・有機生物化学研究室)、富士写真フィルム、日本光学工業、ソニー・PCL、読売スタジオ、『生物みなトモダチ』制作推進委員会/製作会社:東京写真工房

1983年/カラー/80分/日本語/日本

この映画作品は自主上映することが出来ます。
 上映方法ボタン 
内容紹介

安全・美味・栄養の作物作りのために
つみごえ(堆肥)を土の中に、たっぷり入れてやることが土つくりであり、土つくりは、堆肥つくりにはじまる。それが安全で栄養のある、うまい作物つくりの唯一正当な方法である。常民といわれる日本人は農耕二千年の体験のなかから、独特の堆肥つくりの技術をつくりあげてきた。
時代の進展とともに百姓仕事は、ひきあわなくなり、百姓とは愚鈍の代名詞になった。大平さんは、いま、あえてそれをやりぬこうとする。それに、理解と激励と協力をはじめたのが、消費者グループ「若葉会」。

益虫か害虫か
益虫は保護するがよい、害虫は殺せばよいというのが、道学者流の考え方のようだ。そんなことは出来っこない。農民たちは、虫たちをうまくあしらうチエを身につけていた。
農薬が、益虫も害虫も、一視同仁、みんな殺すなら、まだよかったかもしれない。農薬に対しては、弱い虫と強い虫とがあった。どうやら、「益虫」は弱虫で全滅し、「害虫」は強虫で、抗体ができ、スゴイ農薬にも負けないのが多かったのであろうか。
大平さんは、自分が弱虫である、いや、人間みな弱虫の仲間と、深くさとり、伝統農業に「逆もどり」していったのである。そこで、大平さんは、虫との出会いがあり、今は虫の観察者、いっぱしの研究かでさえある。その大平さんは、「この世の中でどれが害虫で、どれが益虫かはわかりません。生物という生物は、この世界のバランスを保つために必要なのです。」と言い切っている。(大平博四著「有機農業の農園──堆肥づくりから消費者との結びつきまで」健友館、1981)
人は、益虫・害鳥を、害虫・害鳥から、きびしく区別してきた。これは、人を良民と賤民とに差別する思想と通じ、同じ根っ子に咲いた、みのりなきアダ花だったのである。

物語
東京都世田谷区等々力四丁目二十三番地。ここは大平さんの住居・農場であり、また、ムシたち、トリたち(野鳥)の住み家でもあります。
今は夏、ヒキガエル夫婦は交尾中。ジョロウグモのお母さんの産卵中。──苦労して生み終わると死んでいきます。ヒキガエルのお母さんの産卵場所は、道端のU字溝しかありません。そこへ、公衆衛生課の殺虫剤散布車が来て、卵は全滅、やっと這いだしたお母さんも車にひき殺されました。
戦前、このあたりは「田園都市」と呼ばれ、すがすがしい環境でした。谷沢川も、当時は農業用水路でした。ミズスマシやゲンゴロウ、オタマジャクシも泳ぎまわり、水車もコトコトまわっていました。
大平家は、代々この地で百姓をつづけて三百五十年。当主は十一代目です。こんな畑など、マンションにでもしたら大長者の左うちわ、などと誰もがいいますところが大平さんは誇り高い専業農家、しかも現在の畑を基盤に永久農業経営を宣言し、行政機関にも、その手続きをすませていました。
さいわい、境内には樹齢700年のカヤがあり、ケヤキの大木もそびえています。──ひそかに、大平さんを激励しているようです。
大平さんの作る野菜は、農薬も化学肥料も使わない「有機農法」です。いま、近隣の消費者グループから熱い支持を受けています。消費者グループ「若葉会」は、発足して十余年になります。約300世帯、およそ1000人分の野菜を、大平さんのほか、長野の水野さん(りんご園)、静岡の塚本さん(ミカンと茶)、千葉の山倉さん(大根や人参など根菜)など、全部で6軒の生産者から、まかなっています。
大平さんが、無農薬・有機農法をはじめたのには、ワケがあります。
大平さんのお父さん(十代目)は、研究熱心な篤農家でした。いち早く、ビニールハウスを開発したのもお父さんでした。はじめ、この新式ハウスは、素晴らしい成果をあげ、たちまち全国にひろがりました。
ところがハウス内は風通しがわるく、アブラムシ、アオムシ、ヨトウ(夜盗)ムシなどが多発しました。そこで本式に使いはじめたのが農薬でした。ところがムシたちは抵抗し、作物の病気も多発するので、つぎつぎと強力な農薬をまぜあわせ、大量使用にふみきりました。──そして、どんな農薬も効かなくなるときはきたのです。
農薬を本式に使いはじめてから十余年、昭和43年に、さしも頑健だったお父さんは、65歳で亡くなりました。すでに、一家全員のからだに変調がおこっていました。
大平さんは、その時35歳、耳は聞こえず、両目とも見えなくなり、一時は、自らの死を予感するまでになっていました。
お母さんは農薬をスッパリやめようと言いだしました。お母さんは今年95歳になる祖母とともども、無農薬時代をやり抜いてきたベテランたちです。大平さんも心機一転、伝統農法に切り替える決心をかためました。
大変な作業でした。農薬で死んだ土を、よみがえらせるだけで3年以上かかりました。堆肥づくりからはじめたのですが、予想を上回る重労働。大平さんはそれに耐え、堆肥づくりのためには、あらゆるチエをはたらかせ、多くの新基軸もあみだしました。
大平さんにとって、ムシたち、トリたちは仲間です。彼らあらばこそ生きた土は創られ、有機農法は完成されると自覚できるからです。
春の一日、何十種類というクモの、ある種類は、自ら吐き出した糸を吹き流し、南風に乗っては、いずこかに飛び立っていきました。

※この映画の主人公ともいうべき大平博四氏は2008年10月3日、呼吸不全で亡くなられました。75歳でした。東京都世田谷区で400年続く伝統ある農家に生まれ、30年以上前に農薬の害にいち早く気づき、 独自の方法で有機野菜を栽培。農園に全国から研修生を受け入れ、無農薬農法を推進しました。 著書に「有機農業の農園」「大平農園の野菜づくり」など。日本有機農業研究会常任幹事も務められました。

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