| DVDの内容紹介
●アカデミー賞ドキュメンタリー賞受賞監督ジェシカ・ユーが、長期間にわたる入念な調査で資料や証言を集め、ナレーションにダコタ・ファニングを起用。
1973年に死去した20世紀の米国を代表する孤高の美術作家を描いた意欲作。
ダーガーの死後、40年間暮らしたアパートからは、「非現実の王国で」と題した15,000ページを超える小説の原稿と、数百枚に及ぶ挿絵が発見された。
その小説を紐解く本作品での圧巻は、挿絵をもとに2年をかけて新たに制作されたアニメーション。
邪悪な大人の男達から子供達を救うべく壮絶な闘いを繰り広げる7人の無垢な少女ヴィヴィアン・ガールズ。
裸で男性器を付けた(!)彼女たちの動く姿が、特異な美意識による無限の妄想の世界へと観る者を誘う。
●物語
1973年、ヘンリー・ダーガーというひとりの老人が他界し、はじめてその作品群が発見された。何千ページにもおよぶ日記や自伝などの書き物。15,000ページを超える、おそらく世界最長の小説。多くが3メートル以上もある数百枚の絵。ダーガー、ヘンリー・ダーガーの写真は3枚だけだ。周囲の人々が「貧しい普通の老人にしか見えなかった」と口々に語るその男は、自分だけの小さな別世界に生きていた。彼はそれを“非現実の王国"と名付けていた。
ダーガーがシカゴで生まれたのは、1892年4月12日。母が死んだことも妹が里子に出されたことも記憶になく、やさしい仕立て屋の父と暮らしていた。絵本や童話が好きで、学校に上がる前から新聞を読むことができ、1年から3年に飛び級もした。8歳の頃に父が体を壊し、「慈悲深き聖母の伝道団」という少年施設に預けられる。施設から公立学校へと通うが、口や鼻やのどを鳴らして奇妙な音を立て、ほかの生徒たちに嫌がられたという。その後、感情障害を示したとされたため、イリノイ州リンカーンの知的障がい児の保護施設へ移される。
1907年、父逝去。州営農場で働かされる施設での生活を嫌い、脱走を試みる。何度かの挑戦ののち脱走に成功し、260キロを歩いて再びシカゴへ。帰る家のない17歳のダーガーは、聖ジョゼフ病院の清掃人の仕事を見つけ、尼僧の宿舎の清掃も担当した。彼は童話に安らぎを見出したが、望みは自分の究極の物語を書くことだった。ダーガーは1909年、生涯続けることになる仕事に着手する。それは15,000ページにも及ぶ物語と挿絵の叙事詩「非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ−アンジェリニアン戦争の嵐の物語」を綴ること。彼は誰にも技法を教わらず、新聞や雑誌の記事、写真や漫画などを熱心に収集し、切り抜いては古い電話帳に貼り付けていった。そしてそれらをコラージュやコピー、トレースし、頭のなかのイメージを表現する彼ならではの手法を見つけ出していく。
この頃、唯一の友人、ウィリアム・シュローダーと出会う。彼らはふたりで作った子供保護協会「ジェミニ隊」の会長であり、その仲間たちは『非現実の王国で』のなかに存在していた。1917年、ダーガーは徴兵されるが、目が悪いことを大げさに演技して除隊許可を受ける。以降、この世を去るまで、昼間は病院で皿洗いなどをして働きながら熱心にミサに通い、夜には寝る暇もなく制作活動をする暮らしを続けた。彼の部屋では彼が法をしき、彼こそが王国の支配者。ダーガーは毎夜、“非現実の王国"の不思議な世界に入っていった。
周囲の人々との交流がない、謎の人物。そんなダーガーのことを、かつて暮らした下宿の大家の娘、教区の簿記係、最後に暮らした部屋の大家たちが証言する。「彼は周囲の人やものとの関係が築けない人。まったくのひとりぼっちで孤独な人」「彼のひとりごとが複数の声で聞こえてきた」「路地を行ったり来たり、ただのガラクタ集めかと思っていたわ。まさかアートのためとは」「彼は引きこもっていただけ。クレイジーじゃない」。そして男性器を持ったヴィヴィアン・ガールズについて、「少年と少女の違いを知らなかったから、少女にペニスを描いたんじゃないかしら? もしかすると少女が好きなだけかもしれない。わからないわ。彼に聞いて」・・・・・。
ある時、ダーガーは教会に養子縁組みを願い出たが受け入れられなかった。また、大切にしていた殺害された少女の新聞写真の切り抜けを紛失し、何とか取り戻そうと神に嘆願するも写真は出てこなかった。空想の世界では自由になる力も、現実には切なる願い一つかなえられない。ダーガーは彼の祈りを拒む神を冒涜し天と格闘したものの、生涯、信仰を捨てることはなかった。
1953年、彼は天候日誌を書き始め、天候と予報士の傲慢ぶりを10年間記録し続けた。73歳で病院を強制的に引退させられたダーガーは、好まざる自由時間で自伝を執筆したり、日記をつけたり、そして日々、神と争い続けた。旧友のウィリアムの死の知らせにひどく落ち込み、貧困と病という試練に苦しむ彼を2~3人の隣人たちが支援した。1972年の終わり頃、後日部屋に残された作品群を発見することになった家主夫妻の手助けで、父親の亡くなった救貧院に入所したダーガーは急激に衰弱し、81歳の誕生日の翌日息を引き取った。長年暮らした部屋を後にした途端、彼の世界は、人生は消えたのだ。部屋に築き上げた別世界“非現実の王国"こそが彼の人生だった。 |