教える、ということ
私は京都造形芸術大学出身です。大学がまだそんなに大きくないころは先生との距離も近くて、学科ごとの横のつながりも濃密でした。学生同士の影響も大きかった。こじんまりしていたからこそ、いろいろなものを全部得ることが出来ました。
短い期間でしたが、大学で教えるという機会をもらいました。そのころ年齢的に学生と近かったので、見えちゃうんです。つい腹が立って言っちゃう、「これは精一杯やってないでしょ?」とか。
とにかく全力を尽くした作品でないと、私には評価できない。もちろん、学生にいくらでもアドヴァイスはできます。でも、私は学生にしゃべりすぎるんです(笑)。
学生に自分で回答を出す、ということをさせないと持ち帰る回答が軽いものになってしまうんですね。良い先生というのは、学生に遠くまで回答を取りに行かせる。そういうことが私にはできなかった。
先生としての才能のある人は、その世代が考えるために必要なこと、というのも考えてます。私には、そこまで考える余裕がなかった。それで、教えることよりも、作家として作品を作ることを選んで、大学を辞めました。 |