『ブレードランナー』に魅せられる

──撮影の被写体に体育館を選んだのは?
バスケットボールのサークルに入っていましたからね(笑)。日頃ドリブルしながらあの空間を走り回っていた。
当初の発想では人間の背丈を超えた所に視点があって、そこから下に降りて来るとういことを考えていたのです。あるいは天井すれすれを回転したり、時々体育館の小窓からカメラが外に出てまた戻って来るとか。もっとスペクタクルなものにしたいなという考えはあった。
─よりスペクタクルなものに発展していくのは次のステップの『THUNDER』('82年)、『GHOST』('84年)、『GRIM』('85年)、 “初期のゴースト三部作”と言いましょうか。 最初の『THUNDER』('82年)では、写真技術の応用ですけれど、長時間露光という方法で像がブレる様子を撮る。
光の帯が過激に運動を始め、雷のように見えていく。雷が部屋のなかを暴れ回る。その光と共存して女の人の顔が現われます。
実はリドリー・スコットの『ブレードランナー』('82年)の冒頭で、夜の街に巨大な東洋人の女の人の顔がビルに映るショットを見たときに感動して、それをどうしてもやりたかった。
『THUNDER』ではラストシーンで校舎の壁に映った巨大な顔となって出現します。投影されるその像は撮影するカメラの位置によって変形しますね。
人間の肉体が崩れていくその気持ち悪さと美しさを描きたかった。
このシーンを撮りながら、こうした映像を壁に投影するのではなくて空中に浮かせられないかとさらにアイディアが湧いてきました。映写機の光を白い紙で遮ると、遮った瞬間に像が残って空中にいるように見えるなと。
そこで次の『GHOST』や『GRIM』で実際に試みた。例えば人物の顔や手が手前にあると、その向こうの背景は透けて見える。透けて見えるけれども、でもそこにはちゃんと存在しているという気持ち悪さにゾクゾクする。この3作は、最初は技術的な興味から始まったけれども、人がそこにぼんやりと立っているという存在感の不思議さに到達したわけです。 |